通りゃんせ
作詞:不詳 作曲:不詳
江戸時代から歌い遊ばれてきた歌です。
歌いながら門をくぐっていきます。
歌詞の意味
神社の入口の門番と、子供をつれた母親との掛け合いの歌です。
門番 | とおりゃんせ とおりゃんせ (通りなさい 通りなさい) |
---|---|
母 | ここはどこの ほそみちじゃ (この細い道は どこに行く道でしょうか) |
門番 | てんじんさまの ほそみちじゃ (天神様が奉られている神社へいくための 細い道です) |
母 | ちょっと とおしてくだしゃんせ (ちょっと 通して下さいな) |
門番 | ごようのないもの とおしゃせぬ (用のない人は お通しすることは出来ません) |
母 | このこのななつの おいわいに おふだをおさめに まいります (この子の7歳のお祝いに お札を納めに行ってくるのです) |
門番 | いきはよいよい かえりはこわい (行くのは簡単だが、帰り道は暗く危ない) |
母 | こわいながらも (危なくてもいいのです) |
門番 | とおりゃんせ とおりゃんせ (通りなさい 通りなさい) |
遊び方
じゃんけんをして、負けた二人は鬼役。
鬼は両手をつないで門を作ります。その中を一列になって他の子供たちが通り抜けていきます。
人数が多い時は、前の人の肩につかまっていくと楽しいものです。
最後の「こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ~~」で、鬼は手をつないだまま両手をおろし、その中に通り抜けようとしていた子供を捕まえます。
捕まった子は、鬼役を交代です。
捕まらないように走り抜けてみたり、鬼役はそれに合わせて早く歌ってみたり。遊び方によってはスリル満点になりますよ。
門の中に誰も入らなかった場合は、鬼が手をつないだまま10秒数えた後に、片手をつないだまま子供たちを追いかけて捕まえる(手つなぎ鬼)などの発展形もあるようです。
歌詞に隠された意味
この曲は、実は隠された意味が。
怖いので、小さなお子さんは読んじゃだめよ。
「帰りは こわい」の「こわい」の意味について(その2)・・・
インターネットホームページより・・・「室町時代に編纂された日本語とポルトガル語の対訳辞書『日葡辞書』には「大儀だ、骨が折れる」の意味で「こわい」が採録されている。ここから「体力的に苦しい状態」→「疲れた」へと意味が広がり、方言に残っているようだ。」・・・つまり、室町時代に 都の言葉であった「こわい」が その後の「周圏分布」現象によって、栃木・茨城・千葉の方言となり、現在まで残ったようです。
「帰りは こわい」の「こわい」の意味について
私が 故郷の栃木県に住んでいた時 学校で次のように教えられました。
この歌の作詞者は 茨城県出身の 野口雨情です。
そして「帰りは こわい」の「こわい」は、栃木・茨城・千葉の方言で、「疲れる」「疲れた」という意味です。
栃木県出身の私としては この説明が すんなり受け入れられるんです。
関西弁の「しんどい」と同じ言葉です。
音楽やいろんなものに方言があったはず!江戸時代は300諸藩あったから、地方独自なものがいろいろ。柔道剣道みたいな全国共通な武道なんて江戸時代にはありません。相撲は鎧組討、足軽や侍が戦場でつかう技。機動力が大事だからデブは存在できません。興業相撲を国技とか正しい武道などと祭りあげたツケを清算しないと?作り込んだ国民国家のウソを見逃している学者の皆さんに気付いて頂きたい