わらべうた『通りゃんせ』の歌詞に隠された怖い意味とは
童謡の中の「わらべうた」に分類される『通りゃんせ』。子供の頃にお友達と遊んだ方も多いのではないでしょうか?
昔から伝承されていく遊びと歌。教わった通りに遊んできていますが、よくよく考えると、音の流れも遊び方も・・・なんだか不気味・・・
わらべうた「通りゃんせ」の本当は怖い裏の意味を解説していきます。
通りゃんせの遊び方に隠されている意味
通りゃんせは、複数人数で遊びます。10名以上だと良い具合です。
「鬼役」を2名だし、あとは皆「子供役」です。
子供役は一列に並び、両手を前の人の肩につかまります。人数が多い場合は、最初の人は最後の人の肩につかまり、円形になります。
鬼役は、両手をつないで高く上げ門を作り、子供たちは、歌いながら鬼の門を順番にくぐっていきます。
歌の最後の「こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ~~~」で鬼は門を下げて、ちょうどその下にいた子供を捕まえるのです。
つかまれられた子は、鬼役を交代します。鬼とじゃんけんして、負けたら交代するというリールもあります。もし3人捕まえたとしたら3人で鬼役をやり、子供の先頭になる人がどこの穴を通るか選べて楽しかった記憶もあります。
・・・あ、楽しかった記憶は置いといて。
ここでポイントとなるのが、門の中で止まってしまった人は子供の輪から遮断されて鬼に捕まってしまう、という点。真ん中で捕まった人は不幸な出来事があるという設定の遊びなのです。
余談になりますが、日本以外でも同じような遊びがあります。
外国の有名な遊びうた「ロンドン橋」では、遊び方は同じで、歌の最後にロンドン橋が落ちてしまい、橋の下に潰されてしまう子が次の橋になるんですけども。ロンドン橋なんて、あんなに大きくて頑丈な橋が落ちる・・・こんなに不吉な歌はないんじゃないでしょうか・・・
違和感が多い歌詞の意味
実は、この歌は母と門番の掛け合いになっています。
門番 | とおりゃんせ とおりゃんせ (通りなさい 通りなさい) |
---|---|
母 | ここはどこの ほそみちじゃ (この細い道は どこに行く道でしょうか) |
門番 | てんじんさまの ほそみちじゃ (天神様が奉られている神社へいくための 細い道です) |
母 | ちょっと とおしてくだしゃんせ (ちょっと 通して下さいな) |
門番 | ごようのないもの とおしゃせぬ (用のない人は お通しすることは出来ません) |
母 | このこのななつの おいわいに おふだをおさめに まいります (この子の7歳のお祝いに お札を納めに行ってくるのです) |
門番 | いきはよいよい かえりはこわい (行くのは簡単だが、帰り道は暗く危ない) |
母 | こわいながらも (危なくてもいいのです) |
門番 | とおりゃんせ とおりゃんせ (通りなさい 通りなさい) |
7歳になった子を連れた母親(推測ですが)が、神社へ入る細い道の手前にある門番に進むことを止められているシーンのようです。
行くのは簡単でも、帰り道が怖い=時刻は夕方でしょう。
昔は電気などなかったですし、神社への細い道は通常木に覆われており、道の幅も獣道のように1人歩ける程度の状態でしょうから、日が沈んでしまうと月の光も入らず真っ暗闇になることは予想がつきます。
この歌で不思議なのは、母がなぜその時間に、門番に止められても「7歳の子供とお札を納めに」行かなければならないのか。止める門番に開けてもらうためにあえて理由を付けた「7歳」って大事なことなのか。
別の日の明るい時間に変更しても良いはずなのに・・・。
母は子供を連れて何をしに行こうとしていたのか
母の不審な行動。夕方に門番から止められても、それを振り切って当日にお札を納めたい理由があったのか?
7歳にこだわる理由は七五三にあり
母が夕刻にどうしても行こうとしているのは、後にとっておいて。まずは、なぜ7歳なのか?これは七五三の習慣を考えると、謎が解けていきます。
昔の日本は、今ほど食が豊かではなく、食べ物も少なく子供にも十分な栄養を与えられなかった時代があり、赤ちゃんのうちに死んでしまう事も多くありました。
ですので、お宮参り(生後1か月)で神様に誕生の報告をし、生命の危険度が少なくなった一定の間隔で、命を守って下さった神様にお礼をするのが「七五三」の風習です。
- 娘が3年も生きることが出来ました。神様ありがとうございます。
- 息子が5年も生きることが出来ました。神様ありがとうございます。
- 娘が7歳になったので、もう大丈夫です。神様ありがとうございます。
男は女より生命力が弱いため、3年生きたところでも、まだまだ体力面で不安があったのでしょう。5歳になってやっと一安心だったそうです。そして女の子は、一度神様に報告に行っても、当時はまだ小さかったために、再度ここまで育ちましたと報告するのだそうです。
当時の7歳というのは、数え年での7歳。現在で考える満6歳にあたります。
(数え年とは:生まれた時に1歳。その後正月が来るたびに+1歳という昔の年齢の数え方です。命があるのに0はオカシイという考え方だそうです。)
満6歳といえば小学校1年生の頃ですが、昔でいうと、「人間」として扱ってもらえるのが数えの7歳からだったそう。
子供は「奉公」「身売り」「生贄」「口減らし」の対象だった
子供を育てるためには、それなりのお金と食糧が必要です。
でも、お金もなければ食料もないのが現実で、家族全員が飢え死にするか否かの危機を回避するために、当時はどんな方法があったのでしょうか。
お金持ちの家庭へ子供を仕事(奉公)に出させたり、口減らし(食べる人数を減らす)のために里親をさがして預けたり、子供を売ってお金に変えたり(身売り)、天災を鎮めるために神様に生贄(いけにえ)としてささげたり。
今の日本からは考えられないですが、昔はこのような時代があったようなのです。
「神隠し」とも呼ばれ、子供が突然行方不明になる事も多かったようですが、その原因はもしかしたら・・・・・。
最後のチャンスだった?
通りゃんせの歌に戻りましょう。
七五三の7歳になった報告として神社にお参りに行くのだったら、そんな夕暮れでなくとも日を改めればよいわけです。
門番を説得している様子から、どうしても今行かなくてはという覚悟が感じられます。
時代背景と子供を神社に置いてくるであろう目的から考えると、神様への生贄だったでしょうか。遊びでは鬼に捕らわれるのですから。
暗い細道から出てきたのは、母一人だったかも・・・・。
最後に
色々な説がありますが、筆者ひまわりの主観でまとめたものです。
どこか違和感や疑問を感じる「通りゃんせ」の背景としては、なかなか納得いくものと思いますが、やはり都市伝説に近いですよね。
信じるかどうかは、あなた次第です。
そして、この話は小さな子供たちにはナイショにしておいてください。
ひまわりの歌う『通りゃんせ』動画
上記の怖い話をイメージしながらお聞きください。