ちいさい秋みつけた
作詞:サトウ ハチロー 作曲:中田 喜直
病弱で外に出られないときに感じた、他の人が見つけた秋です
1955年のNHK「秋の祭典」という特別番組用に作曲され、その後は合唱曲として広く歌われるようになりました。
第4回日本レコード大賞で「童謡賞」を受賞した曲です。
男性4人のグループ「ポニージャックス」が歌っていました。
歌詞の意味
- 誰かが秋をみつけた 小さい秋をみつけた
「目隠し鬼さん手のなる方へ」と遊んでいる声が聞こえてきた
あの鳥の声は百舌鳥(もず)だろうか
私は小さい秋をみつけた - 誰かが秋をみつけた 小さい秋をみつけた
北向きの部屋のミルクのように濁っているガラスにうつる顔は
意識がはっきりとせずにぼんやりしている
窓の隙間から秋の風を感じた
私は小さい秋をみつけた - 誰かが秋をみつけた 小さい秋をみつけた
昔子供の頃に見た色あせた風見鶏は
とさかにハゼの葉が引っかかっていたのを覚えている
ハゼの葉は赤くて夕日のような色をしていた
私は小さい秋をみつけた
誰かさんとは
誰かさんが見つけた。自分ではない人。そう、他の人が見つけた秋なのです。
作詞のサトウハチローは、布団に這いつくばいながら原稿用紙を広げて、この「ちいさい秋みつけた」の歌詞を書き上げたそうです。
布団の中で、ということは具合が悪い中で書いた作品なのですね。
具合が悪く外に出られないため、自分で直接秋を感じることが出来ないサトウハチロー。
結局、誰かさんって誰? についてはわかっていないのですが、自分ではない誰かが見つけた秋を、間接的に感じたという事のようです。
1番は耳で聞こえた秋
目隠し鬼さんてのなるほうへ♪
目隠しをした鬼を、手を叩いて自分の方に呼びます。鬼は音をよく聞き、友達にタッチできるように歩きます。
鬼ごっこは色々ありますが、なぜ、サトウハチローは「目隠し鬼」を歌詞に出したのか。
目隠し鬼が秋に遊ぶのが良い理由があるのではないか。
これはひまわり独自の考えですが、もしかして・・・・
目隠し鬼は、音に敏感になります。
春夏冬にない音、秋だけある音ってなんだろうと考えた時に、もしかして「落ち葉の音」ではないかと思いました。 たくさんの落ち葉を踏んで歩く「カサカサ」した音。これは目隠しをしている鬼にとっては、とても大事な音ですよね。
サトウハチローも、この時はかすかに聞こえてきた音に対して敏感だったことでしょう。
2番は肌で感じた秋
病人は家の中でも北向きの部屋に過ごす風習がありました。なぜでしょうね・・・。
流行り病のときには、病気を家族に移さないために北が良いとか、死人は北向きに(頭を北にして)寝かせるとか・・・どうも良いイメージはない「北向きの部屋」です。
ここは窓はありますが、曇りガラスになっていて外が見えません。
虚ろな目=死んだような生気のない目。
溶かしたミルクは、体調の悪いので滋養をつけるために「お湯に脱脂粉乳を溶かしたミルクのようなもの」を飲んでいたのではないかという説もありましたが、色々調べたところ「ミルクのような乳白色のガラスに死んだような目をした自分が映っている」という解釈で落ち着きました。
昔のガラス戸は隙間がいっぱいです。隙間風が入り込んできて、風の湿度や温度などの違いで「秋の風に変わったな」と感じ取ったのではないでしょうか。
(動画ではわかりやすく、少しだけ窓を開けておりますが)
3番 思い出した秋
サトウハチローが小さい頃、教会に連れて行ってもらったことがあったそうです。
教会の屋根には、古くなった風見鶏(風の向きがわかる鶏の形をしたモチーフ)があり、とさかの部分にハゼの葉がひっかかったのを見たのだとか。
ハゼの葉は紅葉していて、入り日色=夕日の赤い色 だったなあ
・・・・と思い出して秋を感じているのです。
歌唱ポイント
自分が見つけたのではなく「ふと気がついた」程度の秋がポイントです。
遠い意識の中にある風景を歌います。
空気を沢山含んで、輪郭をなくし、ぼんやりした柔らかな声で歌うと、この曲の情景が見えてくるような気がします。
秋の歌の中で一番好きです。
これは「小さい」と言うイメージを大事にして繊細に歌うのが大事だと思います。
小さい→弱い→そっと扱う→そっと歌う
ひまわりさんの説明を読むと、サトウハチロ―が弱っていたから、こういう繊細な歌詞になったような気もしますが、曲もとても繊細です。
何も考えずに「小さい秋見つけた」と歌われると、全然小さくない!と思うんですよね。
分かりやすい