背くらべ

作詞:海野 厚 作曲:中山 晋平

5月5日端午の節句の様子の歌です。
兄弟で背の高さを比べ、背の高い兄に憧れを抱いています。

大正8年に詩が作られ、曲は大正12年発行の「子供達の歌」という曲集にて発表されました。作詞者の海野氏の母校である静岡県の西豊田小学校では歌碑が建てらています。

歌詞の意味

  1. 柱の傷は一昨年の5月5日に背比べをした傷
    ちまきを食べながら兄さんが背の高さを測ってくれた
    昨日と比べれば何ということはないが
    やっと兄の羽織の腰ひもの高さまでになった
  2. 柱に寄り掛かるとすぐに見える
    遠くの山も背比べをしてる
    雲の上まで顔を出して、それぞれ背伸びをしている様に見えるが
    雪が解けていて やはり富士山が一番大きい

端午の節句とはどのような行事か

中国から伝わった邪気払い

端午の節句は、中国から伝わった風習です。邪気を払い、健康を祈る日とされていました。薬草を摘み、蓬(よもぎ)で人形を作ったり、菖蒲(しょうぶ)酒を飲んだりする風習があったそうです。

蓬も菖蒲も、魔除けとして使われる植物です。草餅に蓬の葉を入れたり、しょうぶ湯に入るなど、日本でも身近な植物ですね。

日本では男の子の成長と健康を祈る行事

端午の節句が日本独自の風習として固まってきたのは、鎌倉時代の頃のようです。

菖蒲は葉の形が剣に似ていることから、武将を連想されます。端午は男の節句とされているので、武将のように強くたくましく成長する祈りをささげるようになったのです。

端午の節句では五月人形を飾りますが、元は戦国時代の武将の鎧を飾っていました。今は、兜だけだったり、金太郎人形だったりと様々ですね。

また、庭に鯉のぼりを飾ります。これも中国の風習から来ています。
➡詳しくは 童謡「こいのぼり」に記述しています。

端午の節句で食べるものが柏餅とちまきです。どちらが主流なのかは地域によって分かれるようです。

ちまき

笹でくるんだ餅です。関西では、子供の日に食べるのはちまきが多いようです。この曲に出ているのもちまきで、作詞者は静岡県の方です。

平安時代に中国から伝わり、ちまきが邪気払い厄払いの食べ物とされているので端午の節句に取り入れたのだとか。中国ではもち米を笹の葉でくるみ、5色の紐で縛っていました。

5色…こいのぼりの吹き流しの5色や、七夕さまの5色の短冊と同じ理由でしょう。(各ページで詳しく解説していますので参照下さい)

柏餅

関東では、子供の日にはちまきよりも柏餅を食べるのが主流のようです。

柏の葉には、古代より神様へのお供え物を盛る器として使われていました。神聖な木ということですね。
また、柏は厳しい冬を超えるまで葉は落ちず、春になり新芽が出ると古い葉が落ちるという特徴があります。

子供が産まれるまで親が死なない➡後継ぎが途絶えない
と考えられるようになり、子孫繁栄の意味が込められています。

柏は西側では手に入りにくく、関東より北で柏餅が主流となったのも一つの理由と考えられます。

思えば筆者は東北産まれ。柏餅と思いきや、黄な粉をつけるちまきを食べていた記憶があります。筆者の実家は、北前船にて京都の文化が伝わった港町であるため、雑煮の餅も京都のような丸餅でした。ですので、端午の節句もちまきなのかもしれませんね。

閲覧下さっている方は、ちまきと柏餅のどちら派でしょうか? コメントに入れて下さると嬉しいです。

柱の傷が去年ではなく「一昨年」の謎

♪柱の傷は一昨年の~ で、はじまります。

ん?おととし??

背の高さは毎年測るでしょうから、通常であれば去年の傷と比べるものと考えられますが、一昨年の傷と比較していますね。それには理由がありました。

離れて暮らす兄

背を測ってくれた兄は7人兄弟の長男であり、背を測ってもらった弟は末っ子です。長男と末っ子の年の差は17才。

この長男が、作詞者の海野氏である。中学を卒業後は、早稲田大学に入学するために、静岡を離れて一人上京しています。帰省した時には、兄弟の背の高さを柱に刻んでいたのだと思います。

海野氏が特別にかわいがっていたのが17才年下の弟(春樹)であり、2年も帰省できていなが弟はどれくらい大きくなっただろうか、という思いがこの曲の歌詞に込められているようです。

兄は病弱だった

作詞の海野氏は、28才で結核のために亡くなっています。とても病弱だった海野氏は、1919年を最後に静岡には帰省していないようです。

兄弟たちの成長を気にしながらも帰省できずにいた海野氏ですから、一番下の弟がどれくらい大きくなったかと思いをはせるのにはうなずけますね。

やっと「羽織の紐の丈」とは

羽織とは着物の上に羽織る上着のようなものですね。羽織の紐は腰ひもにあたりますが、「丈」という言葉が「長さ」を指すのでイメージしにくいなと思います。

背比べをするのですから、兄と弟が並んで、背中合わせにでもなって、兄のどこまで大きくなったかを見たとすると・・・・腰ひもの高さあたりまで弟の背が伸びたのでしょう。

小さかった弟目線での歌詞ですので、大きくて憧れのお兄ちゃんの腰ひものところまで自分は大きくなったと喜んでいます。2番でも沢山の山がある中で富士山が一番大きいという歌詞ですが、沢山の兄弟がいるなかで長男が一番だという憧れの存在のようにみえますね。

歌唱ポイント

小さな弟が歌っています。大きな兄に対して、うらやましく尊敬の気持ちです。

3拍子のリズムにのり、素直かつ無垢な気持ちで歌えると良いですね。

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