花の街
作詞:江間 章子 作曲:團 伊玖磨
終戦直後に想い描いた、花に囲まれる美しい街
終戦直後につくられ、1947年(昭和22年)に発表されました。
2006年(平成18年)には「日本の歌百選」に選定された名曲です。
歌詞の意味
- 7色もの色がみられるようになった谷に
春の風がリボンのように吹いていく
回りながら駆け抜けるように吹いていたよ
春が来たことを伝えるように吹いていたよ - 美しい海の夢をみたよ
それは花であふれた街なの
街の人たちは輪になって踊っていたの
春を喜んで踊っていたの - 薄い紫色に見える窓辺
泣いていたよ 街の角で
春の夕暮れが包み込んでくる
1人で寂しく泣いていたの
違和感を感じる歌詞
たくさんの花に囲まれた街。とっても素敵なことでしょう。
ですが、なんだか腑に落ちない歌詞なのです。
こんな春の風が吹き、人々が花に囲まれて輪になって踊っている、やたら元気で明るい街・・・・
なのになぜ、1人寂しく泣いているのか。
そこが不自然というか、違和感というか。
輪になって踊ってる人たちから、いじめられたのかな。それとも、病気か何かで楽しそうな世の中が羨ましいのかな。
筆者はそんなふうに思って歌っていました。
色々検索してみると、この違和感は時代背景が関わっていることがわかりました。
花の街は「行ったことのない神戸」がモデルだった
この曲は終戦直後に、「たくさんの人に夢を与えられるような詩」をオーダーされて、東京にて作られました。
作詞の江間 章子さんのお話を見つけました。
「私が乙女ごころに憧れていたのは神戸でした。でも一度もいったことはないんですよ。おまけに当時の東京は焼け跡だらけ。ですから、いまだ見たことのない憧れの神戸は、さぞかしお花の咲き乱れている美しい街だろうと想像しましてね、早く日本のどこへ行ってもそうあってほしいという願望をこめて書いたんですよ」
と、夢見るようにお話し下さいました。
早く日本のどこへ行ってもそうあってほしい・・・・、という思いからの、違和感あるほど楽しげな歌詞だったのですね。
夢と現実が入り混じっている
そう思うと、1.2番のやたら明るく楽しげな歌詞と、3番とのギャップ、どちらも違和感を感じたのは納得だなと思います。
七色の谷、なんて、そもそも現実のものとは思えませんから。。
1番:夢の世界への入り口。
戦争という冬を超えて春になり、リボンのような春の風が神戸といわれるおしゃれな夢の世界へ連れて行ってくれたのでしょう。
2番:夢の世界。
妄想なのだから、なんでもアリなのです。
ハイビスカスが咲いている街をイメージしていたそうです。
行ったことない神戸だから、何が咲いているのか知らないけれど・・・海の見える街に咲く花はハイビスカス。
ハイビスカスが咲いている街なら、みんな輪になって楽しく踊っているでしょう。
ハワイか?と突っ込みたくなるけど、妄想なのだからなんでもアリ。
(※筆者は神戸もハワイも行ったことがないので、妄想で書いてマス。)
3番:現実に戻ったところ。
焼け跡が広がる街の片隅で、1人で泣いている。
妄想ではたくさんの人と輪になっていたけど、現実は1人。誰もいない。
この現実で輪になっている(自分の周りを囲んでいるもの)のは、春の夕焼けだけ・・・だったのでしょうね。
下の方にコメント欄にて、F3さんが感想を書いてくださっております。ありがとうございます。
とても素敵だったので一部抜粋させていただきます。
>1~3番とおして「輪になって」と繰り返される部分が人々の連帯というか絆のようなもので
>今は焼け野原の街も、いつかは花の咲き誇る街に復活できるという希望の歌だと思いました。
きっとそうかもしれませんね。
風のリボンにのって花の咲き誇る街が広がってほしいという歌だのだと筆者も思いました。
歌唱ポイント
この曲が素晴らしいと思うのは、躍動感ある歌詞をしっかり表現された曲との一体感だと思っています。
それを踏まえて、歌唱ポイントを。
「輪になって、輪になって」 はその後の序奏部分。
これから何か動きがあるぞ、を感じさせるように。
「駆けて行ったよ〜〜〜〜〜」がこの曲1番の見せ場かと思います。
本当に駆け抜けるように歌いたいですね。
(筆者の動画、もっとスピードだして駆け抜ければよかったなあ・・・反省)
2番は幸せオーラ全開です。なんせ、妄想中ですから!
たくさんの花と仲間に囲まれウキウキです。
3番は暗めにしっとりと。
「春の夕暮れ〜〜〜〜」は柔らかな声で、低い位置で横に広がっていく感じが出せるといいですね。
とても美しい旋律ですので、ただ歌うだけでも難関な曲なのですが、
是非とも歌詞を際立たせて、リズムを揺らして表現したいですね。
「風のリボン」になりましょう。
3番はこの曲を理解する上でとても重要です。
演奏する場合は省略せずに、3番まで歌いたいですね。
解説者の方に一言。江間章子さんの原詞を勘違いされていると思います。1番の最後は「春よ春よとかけていったよ」ではありません。「歌いながら~」が正しいのです。3番の「街の窓で」も正しくは「街の角で」です。そこをご理解の上で解説なさって下さいね。
花の街は1・2番と3番の内容の差に不思議な歌詞だと思っていましたが癒される歌声を聞きながら解説を読ませて頂いて納得しました。
戦争後の荒廃した日本が「起」となった歌だったんですね。
1・2番の夢から3番の現実で「え!」となりますが1~3番とおして「輪になって」と繰り返される部分が
(輪になっての歌詞で私は盆踊りをイメージしました、盆踊りに不安でも輪になって踊れば前や横の人のを見ながら踊れるという安心感が)
人々の連帯というか絆のようなもので今は焼け野原の街も、いつかは花の咲き誇る街に復活できるという希望の歌だと思いました。
F3さん、度々コメントをくださりありがとうございます。
>人々の連帯というか絆のようなもので今は焼け野原の街も、いつかは花の咲き誇る街に復活できるという希望の歌
とっても素敵な解釈だと思います!
引用させてくださいませ。