椰子の実

作詞:島崎 藤村 作曲:大中 寅二

どこか遠い国から流れ着いたヤシの実をみて、故郷を思い涙が溢れています。

1901年(明治34年)に詩集「落梅集」に収録。昭和に入ってから曲が付けられました。
太平洋戦争の兵士の間でこの曲がよく歌われたそうです。

歌詞の意味

  1. 名前も知らない遠い島から流れてきた椰子の実が一つ
    故郷の岸を離れ、おまえはいったい何ヶ月の間波に流されてきたのか

    椰子の実が成っていた元の木は、今も生いしげっているのだろうか
    枝は今もなお影をつくっているのだろうか

  2. 私もまた波の音を枕にして、一人寂しく旅している
    椰子の実を胸に当てれば、さまよい歩く旅の辛さが身に染みる

    海に沈む夕日を見れば故郷を思い 涙があふれ落ちる

    沢山重なっている波に思いを馳せる
    いつの日か故郷に帰ろう

椰子の実の詩が作られた背景

椰子の実を拾ったのは、作詞の島崎藤村本人ではなかったようです。

柳田國男から聞いた話が元となっている

柳田國男が愛知県の伊良湖岬に滞在した時に、海岸に流れ着いた椰子の実を発見しました。


潮の流れから南洋諸島から流れてきたのではないかと思ったそうです。

後日その話を、親友の島崎藤村に聞かせたのだとか。

島崎藤村はヤシの実に自分を重ねた

柳田國男からこの話をきいた島崎藤村。
島崎は故郷を離れてさまよい、辛い気持ちだったのでしょう。
この話に自分を重ね、この詩が誕生ししました。

 

戦争中の兵士の間で大ヒット

昭和11年頃、ラジオ放送では健全で明朗な歌を国民に広げようという動きになります。
椰子の実も連日ラジオで流され、レコードも発売されました。

その後、太平洋戦争が始まり、戦地は南の方へ広がっていきます。

 

「海の日の沈むを見れば、滾り落つ異郷の涙」「いづれの日にか国にかえらむ」

 

異国の地で戦っている兵士たちにとっては、故郷を思い出す心の拠り所になったのでしょう。
空前絶後の大ヒット。納得です。

歌唱ポイント

とても難しい歌ですね。

楽譜を見ながら歌ったことのある方はご存知だと思いますが、ブレスの箇所が結構大変です。

 名も知らぬ、「遠き島より流れよる」、椰子の実一つ

歌詞との関係を見ると、必ずしもそこでブレスですか?と若干疑問を感じますし、正直苦しい。。。 
でもうまく息をコントロールして歌いましょう。

波に揺られているような、波打ち際のようなクレッシェンド・デクレッシェンドの繰り返しになっています。
ゆったり波に揺られながら、辛さや故郷への想いを表現できるといいですね。

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