さとうきび畑
作詞作曲:寺島尚彦
太平洋戦争で亡くなった父を探してさとうきび畑を歩き回ります
1964年に作詞され、1969年森山良子のアルバムに収録した形でレコード化。
2001年に改めて森山良子が特別完全版としてフル歌唱したシングルが発売される。
本来は11分ほどの長い曲ですが、上記ひまわり作成動画は前奏や間奏は省略しつつ、全ての歌詞が入るフルバージョンで歌いました。
歌詞の解説
主人公は、太平洋戦争で父を亡くした少女です。
ざわわ、ざわわ・・・と同じ歌詞で繰り返される部分は、現在の光景。
少女の心と現在の光景が、交互に登場していく構成になっています。
以下は筆者の解釈として歌詞を解説してみます。
今は平和なさとうきび畑(ざわわ〜部分)
夏の陽射しの中で、今はただ風が通り抜けるだけの平和な光景です。
そう「今は」平和なのです。
自分が生まれる前に戦争で父が死んだ
太平洋戦争後期は、沖縄戦は激しい銃撃戦だったそう。
沖縄のさとうきび畑の下には、今でも戦士した人々が眠っているといわれています。
鉄の雨は、銃撃戦のことでしょう。
雨のように大量の鉄が降ってきた(飛んできた)のですね。
自分が生まれた日に終戦となったようですので、この少女は父親には会ったことがないのです。
母に育てられた
さとうきび畑の揺らぎや風を感じながら「母の子守歌」を思い出しています。
お母さんはこの主人公を出産した後も、無事に子育てができたのですね。よかった。
父に会いたい気持ちが溢れ出す
知らないはずの父、が夢に出てきます。
「お父さん」に会いたくて会いたくて、気持ちが昂っています。
「お父さん」が戦っていたであろうさとうきび畑の中に行けば、きっと「お父さん」を感じられるのではないかと歩きます。
自分より背の高いさとうきび畑。
この中では閉塞感もあり寂しい気持ちがさらに湧き上がり、波にのみこまれていく感覚なのでしょう。
お父さん! お父さんい会いたい!!
一旦気持ちが落ち着く
あらためて遠くからさとうきび畑を見渡してみます。
風に吹かれて緑の波がうねって、いつもの光景なことに気がつきます。
再び悲しみが押し寄せる
自分はこんなに寂しい・悲しい思いをしているのに、何故さとうきび畑はいつものように平和なのだろう。
家族を亡くし、心が傷ついている人たちがたくさんいるのに、何故なにもなかったようにさとうきび畑は広がっているのだろう。
ここでたくさんの人が死んだ、ここで「お父さん」が死んだ!
なのに。。。
少女の気持ちと現状とのギャップを感じ、さらに悲しみが押し寄せてくるのです。
悲しみを海に返して
海の向こうから来た戦争。
ならばこの悲しみも、海に返して。
さとうきびを揺らしているだけの風に、悲しみも一緒に持っていってほしいと祈っています。
たくさん泣いても、風が吹いても、
この悲しみは消えない。
歌唱ポイント
歌詞の説明を書いているだけで、既に泣いております・・・。
泣かずに歌いきるのはなかなか大変ですよね。
どれだけ心の叫びを表現できるかにかかっています。
少女の心の変化、お父さんを探すシーンの盛り上がりは、あえて粗々しく歌うと良いかと思います。
(上に貼り付けている動画は合唱なので、割と丁寧に歌っておりますが・・・ソロ歌唱では感情を爆発させます!)
逆に「ざわわ、ざわわ〜」はいつもの光景。
風が通り抜けるだけなので、平常心で何事もなかったように歌いましょう。
後半の「ざわわ〜」は悲しみが押し寄せてくるところですから、他のざわわより気持ちを入れて。
風よ、悲しみの歌を〜は、1番大事なところだと思います。
風や海へ広く祈りを捧げていますので、遠くへ遠くへ伝える気持ちで歌いましょう。
この悲しみを消さないように、歌い継いでいきたいです。
はじめてコメントします。私は、沖縄に行った事はありません。この様な悲しい時代があって、今の日本の平和があることに感謝しています。私の父親(80歳で亡くなりましたが)も戦争体験をしています。軍服姿の昔の写真を見ていますが、父からは、戦争の話は一切聞いていません。本人も言いたくなかったのでしょう。 この歌を聴いて想い出して書いてみました。
はじめてコメントします。私は、沖縄に行った事はありません。この様な悲しい時代があって、今の日本の平和があることに感謝しています。私の父親(80歳で亡くなりましたが)も戦争体験をしています。軍服姿の昔の写真を見ていますが、父からは、戦争の話は一切聞いていません。本人も言いたくなかったのでしょう。
この歌を聴いて想い出して書いてみました。