落葉松

作詞:野上 彰 作曲:小林 秀雄

落葉松の林の中で何かを思い出し、悲しみが押し寄せていきます。

コンサートのために作られた曲。初演は1972年(昭和47年)
日本歌曲(独唱)の曲として愛唱されていく中、1976年(昭和51年)に合唱に編曲され、現在でも広く歌われている。

歌詞

(※歌詞の著作権は切れているため記載をします)

落葉松の秋の雨に わたしの手が濡れる
落葉松の夜の雨に わたしの心が濡れる

落葉松の陽のある雨に わたしの思い出が濡れる
落葉松の小鳥の雨に わたしの乾いた眼が濡れる

歌詞の意味

歌い手によって様々な解釈ができそうな深い歌詞です。
作詞の野上彰さんは、軽井沢によく通っていたそうで、この曲も軽井沢の風景を元に作られたのではないかと言われています。

落葉松とは

松は針葉樹で、通常は冬でも緑の葉をつけていますが、
落葉松は秋になると紅葉し、その後は落葉します。

軽井沢は落葉松の名所としても有名だそうです。

4つの「雨」

簡単には解読できない深い歌詞ですよね。

「秋の雨」「夜の雨」「陽のある雨」「小鳥の雨」と4つの雨が出てきます。

この雨は、落葉松の林の中で降ってきた雨だという説もありますが、
筆者は、落葉松の落葉の様子ではないかと思っています。

落葉松が落葉する時は、細い葉が大量にハラハラと落ちてきます。
それを「雨」と表現したのではないかと。

 

赤や黄色の雨のような落葉。秋の雨。

日が暮れても落葉松の葉が降ってくる。夜の雨。

太陽が出て天気が良くても、落葉松の葉は降ってくる。陽のある雨。

鳥のさえずり?たくさんの小鳥が飛び立った? 小鳥の雨。

 

4つの「濡れる」

「手が濡れる」「心が濡れる」「思い出が濡れる」「眼が濡れる」。

この順番が大事。
感情の移り変わりがわかります。

この4つの「濡れる」は、雨に当たって水に濡れているというよりは
「悲しい」「さみしい」という心を表している言葉ではないかと思うのです。

冷たい風が吹いて落葉松の葉が落ち手に当たり、手が冷たくなっていく。
心に悲しみが押し寄せてくる。
昔の悲しい記憶を思い出し、目に涙が浮かんできた。。

そんな感じなんじゃないかなあ。

野上彰さん追悼用に作曲されている

1番の盛り上がりの部分が「小鳥の雨」です。
なぜ、可愛らしい小鳥の場面が最大の悲しみなんだろう・・・。

この曲は、作詞の野上彰さんが亡くなった後に曲がつけられました。
野上さんの追悼のための作曲依頼だったそうです。

もしかしたら、野上彰さんが天国に旅たったのを小鳥の飛び立つシーンとして、1番の盛り上りになるように作曲したのかも。。。

筆者の勝手な想像です。
こじつけかもしれませんが。

歌唱ポイント

伴奏の三連符(タタタ、タタタ、タタタ、タタタ・・・)は、止むことのない雨なのか落葉する音を表していると言われています。
この音を感じながら、情景を膨らませてください。

節の入りには毎度のことながら「からまつのーーー♪」となるのですが、ここが難しい。
伴奏の三連符を無視して、八部音符で入る楽譜の作りになっています。

かーらまつのーー ではなく、からまつのー ということ。

曲のタイトルは「落葉松」。かーらまつ と歌ってほしくなかった意図が汲み取れます。
大変難しいのですが、意識して歌っていただけたらと思います。(筆者はここの成功率が低いです。。。)

 

落葉松の落葉と重ね、心の重荷みたいなものが止まることなく降ってきて、ついに涙が込み上げてくるのが「小鳥の雨」。
この曲の1番の盛り上がりです。
気持ちのたかぶりを声の響きに変え、たっぷりと歌い上げましょう。

 

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落葉松” に対して1件のコメントがあります。

  1. 筆者の「歌詞の意味」に書かれてのを読みながら聴いています。「雨」を「落葉松の落葉の様子」ではないか。解釈、素晴らしい・・・と思います。
    ある本に「日本人は、自然との調和を求めて暮らしてきた」と書かれいたのを思い出します。タイトルが「からまつ/カラマツ」でなく「落葉松」、「落」、「葉」、「松」と漢字になっているのも、素人ですが、この歌詞の深さを感じます。
    落葉松の季節による変化は、人間の一生の変化でもあると思い聴いています。ひまわりさんの高音の歌唱力が素晴らしく感動しています。
    作詞者が「落葉松」を探していたのか、「落葉松」が作詞者に書いてくれないかとささやいたのだろうか。ジーンとくる楽曲です。

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