童謡「証城寺の狸囃子」は悲しい結末だった
童謡「証城寺の狸囃子」はとってもリズミカルで明るく、楽しい歌ですね。
月夜のなかで、和尚さんとたくさんの狸がはらつつみを打って踊る、秋の童謡です。
この曲は、とあるお話が元となっていますが、実はとても悲しい話だったのです。
證誠寺の狸囃子伝説は、『分福茶釜』『八百八狸物語』と並んで「日本三大狸伝説」の1つに数えられています。
住職が定着しない荒れた寺の話
草木の生い茂った寂しい場所に、古いお寺がありました。
この寺に来た和尚さんは、何故だか長く住んではくれません。
月の出る夜には寺のほうから物音が聞こえてきて、怖がって村人も近づかなくなっていきました。
そのうち寺へ入る道もわからないほどになってしまいました。
有名な和尚さんが来ても、「夜におばけや妖怪が出た」と怖がって、逃げてしまうのだそうです。
お化けが出る寺だった
この寺は、町から離れています。
動物たちが伸び伸びと暮らしている場所に入ってくる人間は、動物にとっては邪魔者でしかありません。
頭の良い狸たちは、仲間と集まって相談をし、自分たちの生活の場に入ってきた人間を追い出すために、お化けや妖怪に化けて驚かしていたのです。
浄土真宗のお坊さんがやってきた
また荒れ果てた寺に、新たな和尚さんがやってきました。
そのお坊さんは、どんなことがあっても心乱れることはありませんでした。
狸たちは、毎度のことながら妖怪に化けておどろかせようとしたのですが、このお坊さんは、全く動じませんでした。
月夜の腹鼓
月のきれいな夜。
たぬきたちは、寺の前の広場にあつまり、月の光に照らされながら腹鼓を鳴らしました。
和尚さんを驚かせようと思ってやっているのに、和尚さんは大変喜んで、庭にでてきてたぬきといっしょになって腹をたたいたのです。
最初はうまく音の名からなった和尚さんの腹も、だんだんと上達し、良い音が出るようになりました。
狸と夜中踊って楽しんだそうです。
3日目の夜。
とても良い音を響かせられる様になった和尚の腹鼓に驚きいた大将狸は、とても焦ったのでしょう。
「負けるな負けるな、和尚さんに負けるな!」
と仲間を集め、自分でも必死に大きな音を出そうと、腹を叩き続けました。
大きな腹鼓を聞いた仲間がさらにあつまり、全部で100頭ほどの狸が大集結したそうです。
腹が破れた大狸が発見される
4日目の夜。
今日も腹鼓をやろうと外へ出た和尚さんでしたが、1匹も狸がいません。
不思議に思って、朝になってから周りを探してみると、たくさん集まっていた中で大将だったであろう大狸が、草むらのなかで横たわって死んでいました。
よくみると。腹の皮が破れていたそうです。
不憫に思った和尚さんは狸のために塚を建て、この地に定住することを決めました。
※写真の童謡碑は昭和31年に建てられたそうです
なぜ「証城寺」の狸囃子にしたのか
「證誠院のペンペコペン、己等(おいら)の友だちゃドンドコドン」
證誠寺に伝わる狸囃子伝説をもとに作った、童謡「証城寺の狸囃子」。
なぜ、寺の名前の漢字を、わざわざ「証城寺」に変えたのか。
これは諸説ある様です。
證誠寺限定ではなく、全国で歌ってほしいという願いを込めて漢字を変えた・・・・という表向きの説もあります。
子供たちには、この様に答えてあげるのがベストなのでしょう。
しかし、私はこちらの説が好き。
やっと定着してくれた浄土真宗の和尚さんは、その後寺子屋を開き、大人から子供まで文学を教えたそうです。
そんな立派な先生が、この童謡のように狸と遊び踊るわけない!と、
「證誠寺」を使うことに檀家さんから大反対をされたらしいです・・・。
それで、正式な「證誠寺」をやめて、漢字を変えて「証城寺」としたという話。
大人の事情は、今も昔も複雑ですねえ・・・・・。
(和尚さんだって人間なのだから、お経ばかりじゃないでしょうに。昔は崇められる存在でしたものね。)
檀家さんに「和尚さんは歌い踊るはずがない」と言われたこの曲・・・
楽しそうに踊る動画に仕立ててしまいました〜
腹包(ハラツツミ)ではなく腹鼓(ハラツヅミ)では?
教えてくださってありがとうございます! 確かにそうでした。修正させていただきました。