君が代
作詞:古今和歌集より 作曲:林 広守
日本の国歌です
10世紀のはじめにの和歌「古今和歌集」の和歌が元になっており、世界の国歌で最も古いと言われています。
歌詞と歌詞の意味
古今和歌集で紹介された作者不明(読人知らず)の和歌「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」が元になっています。
祝賀の際に歌われる歌、長寿の祝いの歌、恋文、天皇を称える歌と、考え方は色々です。
歌詞
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
さざれ石・・・もともとは細かな石を意味す。長い年月をかけて小石の隙間を炭酸カルシウムなどで埋まっていき大きな石の塊(巌)に変化したものを呼ぶこともある。
恋文の意味
※君=大事な人を意味しますが、き+み=男女 を指すという考え方もあるようです。
あなたと私の関係は これからもずっと 細かい石が集まって大きな岩になり苔がはえるように 永遠でありますように
祝賀・長寿の祝の意味
※君=特定の人物(天皇)を指すとは限らず、一般的に「君主」「主人」など広い意味で使われていたようです。
あなたの人生は この先もずっと 細かい石が集まって大きな岩になり苔がはえるように 末永く長生きしますように
天皇賛美の意味
※我君は→君が代 になったばかりに・・・? 天皇が治める世の中 という方向に進んだ模様です。
天皇陛下が治める世の中は この先もずっと 細かい石が集まって大きな岩になり苔がはえるように 末永く繁栄しますように
君が代が国家になった流れ
「君が代」は誰が読んだかもわからない古今和歌集に掲載されていた、多分恋文であったであろう、この歌。
何がどうなって、国歌になったのでしょうか。
※Wikipediaに詳しく書いてあるのですが・・・そこからつまんで書いてみます。
鎌倉時代〜江戸時代 一般のうた→天皇色へ
鎌倉時代には朗詠として庶民に広まっており、宴会の最後の歌やお開きのうた、などに使われていたようです。
江戸時代には「君」が天下を治めるものを指す風潮があり、その後時代が進むにつれて、明らかに「天皇」を指すという解釈が存在しはじめました。
明治時代初期 外構儀礼のための曲が必要になった
明治2年、ビクトリア王女の次男が日本を訪問する事になり、イギリス皇太子のイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが、日本に国歌がないのは遺憾であり、国歌あるいは儀礼音楽を設けるべき!と言い出したようです。
フェントンによって作曲、イギリス軍楽隊によって演奏されました。その後も何度か演奏されたが不満の声が多く普及されませんでした。
明治14年 教科書に掲載
最初の唱歌の教科書である『小学唱歌集 初編』に掲載。
君が代の歌詞は、このときは2番まであり、ウエッブ作曲でした。この君が代は、あまり普及しなかったそうです。
・・・どんなメロディだったのだろう??
明治22年には、海軍省が林廣守作曲、エッケルト編曲「君が代」ができ、吹奏楽譜が印刷されて各官庁や各条約国に送付されました。
明治24年 「小学校祝日大祭日儀式規定」が制定
学校教育を通じて、礼式曲としての「君が代」が強力に進められます。
「小学校祝日大祭日儀式規定」が制定され、儀式では祝祭当日にふさわしい歌を歌唱することが定められました。
君が代は、祝祭当日にふさわしい曲、ということでしょうね。
明治30年 『君が代』ハ陛下及皇族ニ対シ奉ル時に用ユ
陸軍省達第153号で「『君が代』ハ陛下及皇族ニ対シ奉ル時に用ユ」とされ、学校儀式でも国歌として扱われるようになりました。
第二次世界大戦前 君が代は天皇のために歌うと教育
まだ正式な国歌ではないものの、国際的な賓客の送迎やスポーツの行事などで演奏・歌唱されることが多くなります。
1941年(昭和16年)に設立された国民学校の修身教科書でも「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」(国民学校4年用国定修身教科書『初等科修身二』)と記され、はっきりと天皇陛下のために歌うことを教育されています。
第二次世界大戦後 君が代 禁止
敗戦後、連合軍総司令部より 日の丸の掲揚と君が代斉唱の全面的禁止となりました。
また、一部の国民からも、天皇を遊真とした体制を讃えるものと解釈できることから、君が代は国歌にはふさわしくないとの主張も出てきました。
昭和25年ころから、君が代 復活?
昭和25年には、文部省より「学校や家庭で日の丸の掲載や君が代の斉唱をすることを推奨する」という通達が出て、
昭和33年には、「儀式にも国旗の掲載と君が代の斉唱が望ましい」と学習指導要領に記載されました。
平成11年 君が代は正式に国歌となる
今までは、事実上の国歌として演奏されてきたが、法的に定めていなかったので
1999年(平成11年)8月9日 「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が成立し、君が代は正式に国歌となりました。
筆者の記憶からの 君が代
筆者が小学生低学年の頃。
学校の行事では、当たり前のように君が代を歌うタイミングはあり、日の丸も飾られてました。
「国歌、校歌 斉唱!」なんて掛け声もかかりましたねえ。
また、正月や建国記念日には、近所や親戚の家に日の丸が飾られていたのを覚えております。
筆者の実家には無く、日の丸を飾る家が所々にあるのだな・・・という印象。
学年が進んでいくうちに、
なぜか「君が代は歌わなくて良い、下を向いて聴いているだけでよし」となりました。
「国歌斉唱!」ではなく「国歌。」とだけアナウンスがはいり、下を向けと言われていたので下を向いて時がすぎるのを待ってました。
なぜ歌わなくて良くなったのか、理由は説明されませんでした。(←自分が聞いていなかっただけかも?)
そのうち、年号が「昭和→平成」に変わりました。
(小学生の私が年号が変わる意味は理解できていなかったけれど、戦争の時代を国民の象徴として生きてきた昭和天皇がお亡くなりになった→日の丸や君が代についてどうするか、かなり揺れたのだろうなと想像します)
中学にはいると、「天皇が治める国が続くように」という意味だった君が代は学校で強制的に歌わせることはNGになったのだ、と聞かされました。
初めて、筆者は君が代の歌詞の意味を知ったのです。
そんな意味がある歌を、小学生から当たり前のように歌うことを植え付けられていたのか・・・と大変ショックをうけました。
ここで私は「君が代」が嫌いになったのです。
日本から君が代が消えるのかと思ってたのに、平成11年には正式に「国歌」となったことに驚きます。
戦争に関わった歌は、歌詞が変わったり扱いが変わったり・・・・いろいろな変貌を遂げますね。
東京オリンピックの前だったので、あまり好きではない「君が代」を改めて歌ってみようかなと思い立ったのですが。
本来の歌詞の意味を調べると・・・・
なかなか良い意味をもっていて、国歌としても悪くないかも、と思ってきました。
様々な方面から見ることは、大事ですね。
歌ってみて、調べてみて、良かったです。
せっかく「君が代」を何度も耳にする東京オリンピックです。
この機会に、ぜひ、君が代を思い出し、歌詞に耳を傾けていただけたらと思いました。