サトーハチロー
1903年(明治36年)ー1973年(昭和48年) 本名は佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、清水士郎、清水洋一郎、並木せんざ、江川真夫、熱田房夫、倉仲佳人、倉仲房雄、などがある。
「リンゴの唄」の作詞者として知られる。
経歴
1903年(明治36年)5月23日、東京府東京市牛込区市谷薬王寺前町(現在の東京都新宿区市谷薬王寺町)に生まれる。
1919年(大正8年)福士の紹介により西條八十に弟子入りして童謡を作り始め、数々の雑誌や読売新聞などに掲載される。その一方で今東光などが参加した同人誌『文党』や、草野心平や宮沢賢治などが参加した同人誌『銅鑼』に参加する。
1926年(大正15年)には処女詩集『爪色の雨』を出版。
1930年代からは童謡や詩だけにとどまらず、小説や映画の主題歌なども盛んに執筆する。
1938年(昭和13年)には日本コロムビアと専属契約を交わす。第二次世界大戦が激しくなる中でも妻子を千葉県に疎開させ、自身は東京に残って仕事を続けた。
1953年(昭和28年)童謡集『叱られ坊主』を出版し、翌年これにより第4回芸術選奨文部大臣賞を受賞。以後は童謡の詩作に専念し、1955年(昭和30年)「ちいさい秋みつけた」を作詞、1962年(昭和37年)レコード大賞童謡賞を受賞。
1963年(昭和38年)NHK放送文化賞受賞。1966年(昭和41年)紫綬褒章受章。
勲三等瑞宝章を受章した1973年(昭和48年)に、心臓発作により死去。1967年(昭和42年)に就任した日本作詩家協会会長、1969年(昭和44年)に就任した日本童謡協会会長、1971年(昭和46年)に就任した日本音楽著作権協会会長の職は、死去するまで続けた。
代表作
童謡
詩集
- 好きな人のうた
- 友だちの歌
- おかあさん
- タムタム・ナムナム
- 生活の唄
- 美しきためいき など多数
小説
- エンコの六
- 赤い顔黒い顔
- 父の顔母の顔
ユーモア小説
- 男・女
- 小唄と絵
- 俺の故郷
- 公園三人衆
少年少女小説
- ユーモア艦隊
- ムニャムニャ玉
- おさらひ横町 など多数
歌謡曲
- リンゴの唄
- 麗人の唄(映画『麗人』の主題歌)
- 二人は若い(玉川映二 名義)
- あゝそれなのに(星野貞志 名義)
- うちの女房にゃ髭がある(同上) など多数
教育用音楽
- ライオン歯磨「くまの子りすの子」(歯磨体操用音楽「歯磨教練」の歌入り版を作詞)
校歌
- 学校法人東京聖徳学園学園歌
- 世田谷区立弦巻小学校校歌
- 世田谷区立松丘小学校校歌
- 千葉県立船橋高等学校校歌 など多数
出典:Wikipedia