与田 凖一(よだじゅんいち)

1905年6月25日- 1997年2月3日junichi_yoda_01

日本の児童文学者・詩人。

昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。

作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。 橋本淳の父。與田凖一の表記もある。

経歴

1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)上庄に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。

筑後市で小学校教員として働きながら、同郷の北原白秋に師事した。

健康上の理由で職を辞して上京し、赤い鳥の編集を 1950年から1960年まで日本女子大学で講師として児童文学を講じ、1962年より日本児童文学者協会の第6代会長を務めた。

1967年、「与田凖一全集」でサンケイ児童出版文化賞、1973年、「野ゆき山ゆき」で野間児童文芸賞を受賞した。

門下には、まど・みちおをはじめ岩崎京子、生源寺美子、あまんきみこらがいる。日本ペンクラブ会員も務めた。

郷里のみやま市瀬高町の清水寺には与田の詩碑がある。また、毎年10月には「与田凖一児童文学祭 むっきっきまつり」が催されている。

2009年10月、みやま市に与田の功績をまとめた記念館が作られた。

代表作

童話

  • 猿と蟹の工場 版画荘 1935
  • あかちゃんのはなし 福音館書店 1967
  • ちくたくてくはみつごのぶただ 童心社, 1990 など多数

翻訳

  • まりーちゃんとひつじ(フランソワーズ)岩波書店, 1956
  • せんろはつづくよ M.W.ブラウン 岩波書店, 1979 など

童謡・唱歌

その他、校歌・詩集・評論活動などを行う

出典:Wikipedia

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