砂山
作詞:北原白秋 作曲:中山晋平・山田耕筰
2つの砂山。聴き比べてみましょう。
2つの砂山聴き比べ
北原白秋は、新潟で1922年(大正11年)開催された童謡音楽会に招待された際に、2000人ほどの小学生から熱烈歓迎をされ、新潟の歌を作ってほしいと注文されたそうです。
その後、新潟の寄居浜に出向き、海の向こうに見える佐渡ともの寂しい風景から詞を書き上げ「砂山」ができました。
その詞に、中山晋平と山田耕筰が曲をつけています。
・・・他にも成田為三や宮原禎次などがこの詞に曲を作っているそうですが、現代では忘れ去られてしまっているそうです。
それぞれを聴き比べてみましょう。
中山晋平版 力強い「砂山」
北原白秋は1922年(大正11年)の作詞後、中山晋平へ作曲の依頼をしたそうです。
同年の9月、雑誌『小学女生』にて発表されました。
中山晋平作曲の砂山は、力強い雰囲気があるように思います。
音の流れは民謡風な気がしますね。
伴奏は同じようなラインの繰り返しなのが特徴です。
波打ち際での繰り返す波の動きと、左手は和太鼓のような印象です。
動画では、1番の伴奏は楽譜通りで、2・3番の伴奏はアレンジしております。
山田耕筰版 暗い「砂山」
翌年の1923年(大正12年)に、山田耕筰が北原白秋の詞に曲をつけて、もう一つの砂山が誕生します。
山田耕筰作曲の砂山は、4年後の『山田耕筰童謡百曲集』に収録となりました。
山田耕筰作曲の砂山は、中山晋平のと比較すると「暗い」と感じます。
伴奏もアルぺジオ多用されており、しっとりとしたメロディで芸術性が高い気がします。

(楽譜が歪んでますねーーごめんなさい!)
これも、砂浜に打ち上がる波を表現しているのだと思いますが、作曲者が違うと同じ波でもこんなに変わるのですね。
歌詞
- 海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ啼け啼け もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ - 暮れりゃ砂山 汐鳴ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ - かえろかえろよ 茱萸原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
(著作権消滅のため、歌詞を記載いたしました)
歌詞の意味
そんなに難しい言葉はなさそうですが、2つ気になることがあったので調べてみました
汐鳴
汐鳴・潮鳴 どちらも「しおなり」と読みます。
海の波が寄せては返す音、遠くから聞こえてくる波の音のことを指しますが
「汐鳴」は夕方の海の様子で使われます。
漢字の中に「夕」がはいっていますよね。
ということは・・・
「潮鳴り」になると、漢字に「朝」が入っているので、朝の海を表しています。
茱萸原わけて
茱萸原わけて・・・「ぐみわらわけて」と読みます。
楽譜の歌詞はひらがなで「ぐみはらわけて」と書かれていますが、
ぐみわらわけて、と読むという・・・・
日本語トリップに困惑します。
「茱萸」は果物です。

さくらんぼが縦に伸びたような形の実をつけます。
深い赤で、身の表面にはぶつぶつがあります。(さくらんぼの表面はツルッとしていますよね)
筆者ひまわりの実家(山形県)の裏庭には、グミの木が植えられていました。
トゲの多い枝に、たくさんの赤い実。
実は食べられるものだと聞いて、トゲに気をつけながら実を取り、食べてみたものの・・・・・その時はスッパ苦くて食べられたものではありませんでした(笑)
茱萸は、海岸線にも自生するようです。
舞台となった新潟の寄居浜には、たくさんの茱萸が自生していたのでしょう。
茱萸の赤い実を食べにスズメもたくさんきていたのでしょうね。
話が広がってしまいましたが、
茱萸原わけて=ぐみのたくさん生えている場所をかき分けながら、帰ったのでしょうか。
トゲ・・・大丈夫だったかな。
歌唱ポイント
中山晋平作曲のほうは、
荒海を感じられるように力強く歌いましょう。
伴奏の和太鼓のイメージを受け継いで、1拍目にはアクセントを入れると良いと思います。
山田耕筰作曲の方は、伴奏のアルペジオを生かし、
朗々と遠くを見つめるように歌いましょう。
テンポを自由に、心のままに声を載せると良いなと思います。


