斎藤 信夫(さいとう のぶお)
終戦直後に発表された童謡「里の秋」を作詞したことで知られている。終戦を境に神州不滅の皇国史観教育をしてきた自分を反省し、教職を辞めてしまうという気骨を持った人物であったが、童謡を通じ子供や動物を見る目は暖かかった。
経歴
1911年(明治44年)千葉県の南郷村(後:成東町、現:山武市)五木田に生まれる。
1930年 (昭和5年) に千葉師範学校 (現:千葉大学教育学部) 第2部に入学し、1931年 (昭和6年) に卒業して小学校に奉職する。その後、千葉師範学校の専攻科、葛飾町 (現・船橋市) の葛飾町立葛飾尋常小学校で訓導を務める。
教職のかたわら独学で詩作に取り組みながら教材雑誌に投稿を続けるうち、雑誌で作曲家海沼實の存在を知り、海沼とは面談をしたのちに手紙を交わした。
1941年 (昭和16年) 12月の日米開戦で愛国心が高揚すると、一気に書き上げた詩の数編より『星月夜』を海沼ほかに郵送したものの、返事はなかった。
1945年 (昭和20年) の12月、海沼實に依頼されて改作した『星月夜』は、『里の秋』と改題してラジオ番組『外地引揚同胞激励の午后〈ごご〉』で放送。翌年3月に教職を離れ、1947年 (昭和22年) に中学校の教壇に復する。
童謡の研究会を主宰して1954年 (昭和29年)に月刊同人誌「花馬車」を、翌1955年 (昭和30年) に幼児童謡研究誌「三輪車」を創刊する。「三輪車」は55歳で定年退職した1967年 (昭和42年) に、また「花馬車」は1986年 (昭和61年)にそれぞれ終刊。
1987年(昭和62年) 9月20日死去。享年76。
代表作
- 「里の秋」 作曲:海沼實
- 「蛙の笛」 作曲:海沼實
- 「ばあや訪ねて」 作曲:海沼實
- 「夢のお馬車」 作曲:海沼實
- 「習志野市立袖ケ浦西小学校校歌」 作曲:平岡照章 など
歌碑・その他
「里の秋」の歌碑
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- 出身地の成東城跡公園 自筆の歌詞・解説 (千葉県山武市)
- 母校の南郷小学校の校庭 歌詞と楽譜 (千葉県山武市)
- 「文学の森」 歌詞と肖像写真・解説 (千葉市若葉区野呂町、千葉東金道路野呂パーキングエリア上り線)
- 兵庫県たつの市龍野町の童謡公園
- 作曲家の海沼實の故郷・松代町のつつみ公園 歌詞全文・楽譜、栗の葉と実の形をしている
- 歌手の川田正子の母須磨子の故郷・いすみ市の「童謡の里」 楽譜に記した歌詞の一部 (千葉県いすみ市岬町岩熊)
「蛙の笛」の歌碑
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- 歌手の川田正子の母須磨子の故郷・いすみ市の「童謡の里」 楽譜に記した歌詞の一部 (千葉県いすみ市岬町岩熊)
- 作曲家の海沼實の故郷・松代町の真田公園 歌詞全文・楽譜 (長野県長野市松代町)
- 作曲家の海沼實の故郷・松代町のつつみ公園 歌詞全文・楽譜、長野市設置 (長野市松代町十五区石切町)
その他の碑
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- 海沼美智子の寄稿碑 (いすみ市「童謡の里」)
- 真田公園 童謡の森建設事業
出典:Wikipedia