蛍の光
作詞:稲垣 千頴 作曲:スコットランド民謡
卒業式の定番曲であり、閉店の音楽としてもよく聞かれますが・・・
1881年(明治14年)に、尋常小学校用の唱歌として発表されました。
卒業式の定番曲ですが、3・4番は戦後から歌われなくなります。
歌詞・歌詞意味
※作詞の著作権消滅につき、歌詞も掲載いたします。 JASRAC作品コード:016-2635-3
- 螢の光、窓の雪、
(蛍の淡い光や月光の雪明かりを窓から取り入れ )
書讀む月日、重ねつゝ、
(書物を読む日々を重ねていると)
何時しか年も、すぎの戸を、
(いつの間にか年月は過ぎ去っていき)
開けてぞ今朝は、別れ行く。
(今朝は杉の戸を開け 級友と別れていく) - 止まるも行くも、限りとて、
(故郷に残る者も 去り行く者も 今日限りなので)
互に思ふ、千萬の、
(互いに思い合う無数の想いを)
心の端を、一言に
(心の中でたった一言)
幸くと許り、歌ふなり。
(「幸あれ(どうかご無事で)」と歌うのだ) - 筑紫の極み、陸の奥、
(九州の果てでも 東北の奥地でも )
海山遠く、隔つとも、
(海や山で遠く隔てられても )
その真心は、隔て無く、
(真心は隔てられることはなく)
一つに盡くせ、國の為。
(ひたすらに力を尽くせ 国のため) - 千島の奧も、沖繩も、
(千島列島の奥も沖縄も)
八洲の内の、護りなり、
(日本国の護りの要(かなめ) である)
至らん國に、勳しく、
(統治の及ばぬ異国には勇敢に)
努めよ我が兄、恙無く。
(尽力せよ我が兄弟 無事であれ)
蛍の光 窓の雪は「蛍雪の功」が由来
歌詞の出だしである「ほたるの光、窓の雪〜♫」は、中国の故事の「蛍雪の功」が由来と言われています。
貧乏で光を灯すために使う油が買えず、夏は蛍を光で勉強をし、冬は雪に反射する月の光で勉強をしていた。
一途に努力した結果、朝廷の高官に出世できた・・・という話。
電気がない時代でも、夜になんとか勉強するために工夫を凝らしたのですね。
時代にあわせて文部省により歌詞が変えられていく
2番までは卒業式でよく歌われていましたが・・・・3番4番があるのですね。
歌詞は難しい言葉を使用しているので、意味がいまいちピンと来ないとですね。
上記した「歌詞の意味」を参照いただくと、戦争に関わっていることがわかるかと思います。
3番は歌詞の変更
出版前の歌詞は、
つくしのきはみ みちのおく
わかるゝみちは かはるとも
かはらぬこころ ゆきかよひ
ひとつにつくせ くにのため
だったそうですが、「かはらぬこころ ゆきかよひ」は男女間で交わす言葉だとの指摘で変更され「その真心は、隔て無く」に変更されたそうです。
筆者の祖母は大正生まれなのですが、学生時代には「男子と場所をともにしてはならぬ」「男子と話しをしてはならぬ」という風潮だったと聞いていました。
この頃は、結婚は15歳位で親が決めた許嫁(いいなずけ)のところに嫁ぐという時代だったそうですので、恋愛禁止令のようなものがあったのでしょうか・・・。
男女間で心を通わせてはならぬ!
その様なことを歌詞に入れてはならぬ!
ということですね。。。
4番は戦争による日本領土の変化にて歌詞も変更されていった
戦争により、日本の領土が変化していきます。
4番の歌詞は、時代背景に合わせて変更されていったそうです。
千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり(明治初期の案)
↓
千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり(千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて)
↓
千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり(日清戦争による台湾割譲)
↓
台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり(日露戦争後)
※参考:Wikipedia
八洲(八島)とは?
4番の歌詞で「八洲の外か内か・・・」を繰り広げておりましたが、そもそもこの「八洲」とは何を指すのでしょうか。
古記事のイザナキとイザナミが陸をつくったらしき話より、日本の国土が誕生したようなのですが、
その時作られたのが八つの島とのこと。
神話上の地名としては、Wikiにて二つの説が記載されていました。
- 八島国・八洲国 – 『古事記』で夜斯麻久爾(やしまぐに)の意。
淡路、伊豫之二名島、隱伎之三子島、筑紫、伊岐、対馬、佐渡、大倭豊秋津島など「八つの島」の総称。 - 大八島・大八洲 – 『日本書紀』・『続日本紀で大八島国(おおやしま ぐに)の意。
淡路洲(あわじ しま)、大日本豊秋津洲(おおやまと とよあきづ しま)、伊豫二名洲(いよ ふたなの しま)、筑紫洲(つくししま)、億岐洲(おきの しま)・佐渡洲(さど しま)、越洲(こしの しま)、大洲(おおしま)、吉備子洲(きびのこ じま)。
※参考:Wikipedia
・・・・・うーむ、「神が作った古来からの日本=八洲」としているのでしょう。(ざっくりしすぎ?)
古来の日本の領土に、沖縄・千島・台湾・樺太 が日本領土に加わっていく時代背景が見えますね。
歌唱ポイント
一緒に学んだ友達との別れ・・・みんな元気でね・・・という歌詞ではなかったのですね。
友との別れ=生きて会えるかわからない
この意味が含まれていることを心に止めながら、複雑な気持ちになりますね。
この曲の歌唱ポイントを語るのは難しいですが・・・
あえて語るとしたら、「盛り上げない=自分の気持ちを出さない」ということでしょうか。
やりたいことも、大好きなあの子の事も、心に閉まって
この国のために兵隊として力を尽くすことを良しとされる。
本心を出すと、非国民と呼ばれ、刑が与えられる。
穏やかではない心を隠すために、盛り上げることもなく淡々と歌う。
きっと、そういう歌なような気がします。
なぜ閉店ソングの定番となったのか
日本のために尽くせ、というこの「蛍の光」がなぜ閉店ソングとして定着していったのでしょうか。
それは、日本国万歳なわけでもなく、卒業式とも全く関係のないところの・・・まさかの「商業的要因」でございました。
映画の大ヒットにのっかって日本で編曲していた
アメリカの映画『哀愁 (Waterloo Bridge)』にて、主演のヴィヴィアンリーとロバートテイラーの別れの名シーンにスコットランド曲「Auld Lang Syne」をワルツアレンジした曲が流れました。
1949年に映画が日本公開され 大ヒット!
コロンビアレコードが別れのシーンで使っていた曲の再アレンジを古関裕而に依頼し、1950年《別れのワルツ》として発表。
大ヒット映画の別れの名シーンに流れた曲ということもあり、日本アレンジタイトルの「別れ」という言葉も効いたのでしょうか。
デパートの閉店時のBGMとして定着したそうです。
蛍の光は4拍子ですが、別れのワルツは「ワルツ」なのですから3拍子ですよね。
蛍の光と別れのワルツの聴き比べ
聴き比べができるYouTubeを見つけたので、貼り付けさせていただきます。聴いてみてください。
(・・・・あ、閉店の時に聞いたのは3拍子だったかも!)
蛍の光は深いですね
かつて日本が統治した国の規模で歌詞が変更していった事や八洲の内外という考えにビックリです
卒業式の定番として歌った蛍の光を久々に聞いたのは昔、勤め帰りに寄ったパチンコ閉店時でしたが、なんか途中でズッコケるメロディと感じたのは別れのワルツだったからなんですね
あちこちに散見する蛍の光の情報を分かりやすくまとめて頂き素敵な歌声で聞けるので、ありがたいです
F3さん、こちらこそ情報やコメントありがとうございます!
時代背景がこうも露骨にでている歌だったのですね。本当にびっくりです。