かなりや
作詞:西條 八十 作曲:成田 為三
歌うことができなくなったカナリヤ。広い海に出て気持ちが和らぐと歌出しました。
原詩となる「かなりあ」は、1918年(大正7年)の『赤い鳥』11月号に掲載された。
そこに曲がついて、「かなりや」と題名が代わり1919年(大正8年)に発表されました。
レコードが一般家庭に普及しはじめた頃で、「かなりや」は日本各地で大流行しましした。
レコード化された童謡では最初期作品です。
歌詞の意味
- 歌えないカナリヤがいました。
裏山に捨ててしまおうか?
いえ。捨ててはいけません。 - 歌えないカナリヤがいました。
家の裏にある藪の中に、埋めてしまおうか?
家。埋めてもいけません。 - 歌えないカナリヤがいました。
柳で出来たムチで、ぶってみようか?
いえ。それはかわいそうです。 - 歌えないカナリヤに、銀のオールがついか象牙の船を用意して
とても美しい月明かりの夜に、広い海に浮かべてあげました。
カナリヤは、美しい歌声で歌い始めました。
鳴かぬなら〜ホトトギス に似てる気がする
このカナリヤはきっと、長い間狭いところに閉じ込められ、心が病んでしまったのでしょう。
もしかしたら、うまく歌えなくなってきたところで、人間に罵声を浴びせられてしまい、本当に歌えなくなってしまったのかもしれません。
- 裏山に捨てる? 土に埋める?
- ムチでぶってみる?
- 広いところに出してみる?
この考え方が、ホトトギスを題材にした狂歌に似てますよね。
鳴かぬなら〜〜〜〜〜ホトトギス。 そう、コレです。
- 「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」(織田信長)
- 「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」(豊臣秀吉)
- 「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」(徳川家康)
用済みならバッサリ切る信長、力づくても行動に移させる秀吉、温和な家康。
現代のストレス社会に通じる歌詞だと思う
昔はストレスが無かったわけじゃないと思うし、信長や秀吉の考え方が通常だった時代もあったわけですが・・・・
なぜに現代はストレス社会と言われるのか不思議です。(ただ、研究が進んだだけ?)
ストレスフリーになった時に、本来の自分を取り戻したカナリヤです。
ストレスで「自分らしさ」や「自分の持っている力」を発揮できないことってありますよね。
大正時代の曲ですが、ぜひ現代にも歌い継いでほしいと思いました。
歌唱ポイント
3番までは、ストレス膨大ゾーンです。
深く考えずに「捨てちゃう?」と言っているのは子供、「駄目ですよ」とたしなめているのは大人であろうと思います。
4番は、ストレス解放ゾーン。心も軽くなります。
月夜の海にでている場面ですので、広がりを感じられるように、遠くに声を飛ばしましょう。
3番までと4番の歌い方で、明るさに変化をつけてみましょう。